スペインを代表するフラメンコのカンタオーレ

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5月はとくにアンダルシア地方で大規模なお祭りが続いていますが、アンダルシアのお祭りやイベントに欠かせないのがフラメンコです。
実は”フラメンコ”もユネスコに”無形世界遺産”として登録されています。

以前の記事でスペインを代表するフラメンコギタリストを紹介させていただきましたが
今回はフラメンコをエモ‐ショナルなものに仕上げている”Cante(歌)”を担当するCantaore(カンタオーれ)。
フラメンコの歴史を刻み今も人気絶大な人気を誇るCantaore(カンタオーレ)をスペイン人によっておこなわれた
アンケートを基に選んでみました。

CAMARÓN DE LA ISLA (San Fernando 1950 – Badalona 1992)

本名はJosé Monje Cruz。幼いころ、金髪で色が色白でやせていたことからCAMARÓN(小エビ)という呼び名でよばれるようになった
そうです。5歳からフラメンコを歌いはじめ、8歳で既にカンタオーレとして収入を得始め、12歳でコルドバのフラメンココンクールで優勝したことをきっかけにプロの歌い手としてのキャリアを歩み始めました。
フラメンコに新しい流れを作った第一人者といわれておりギタリスト パコデルシアとともに10のアルバムを作成し、トマティートともに
活動を行っていました。ビセンテ・アミーゴコラボ作品”Soy Gitano”はフラメンコの歴史においてもっとも売れたアルバムとされています。

CHOCOLATE (Jerez de la Fra. 1936 – Sevilla 2005)

セビリアの通りでカンタオーレとして歌いはじめその才能を認められてさまざまなコンクールに登場するようになった人物です。
‘Los Tarantos’ やカルロス・サウラの’Flamenco’ にも登場しています。国内では多くの賞を受賞し、最後の作品となる’Mis 70 años con el cante’.で2002年のラテングラミー賞を受賞しています。

Niña de la Puebla (La Puebla de Cazalla, 1908-Málaga,1999 )

フラメンコ界でもっとも成功した女性の一人とされているカンタオーレ。
生後3日で視覚を失い、8歳から特別学級で教育をうけつつ音楽を学び始めました。
スペイン市民戦争前より人気の高いカンタオーレとなり、戦後もその人気は衰えることがありませんでした。
Manolo Sanlúcarをはじめとする多くの著名なフラメンコギタリストともコラボレーションを頻繁に行っていました。
一週間後に芸術に寄与した人物に贈られる国民栄誉賞の受賞を控え1908年に亡くなりました。

Enrique Morente (Granada, 1942 – Madrid, 2010)

エルカマロンとともに”Nuevo Flamenco(フラメンコフュージョン)”の発展に大きく貢献した人物です。
10代のころにフラメンコのカンテを本格的に学ぶためにマドリッドに移住し、そこでその当時の代表的なカンタオーレ Pepe de la Matrona や Bernardo el de los Lobitos,を師匠としてカンタオーレとしての才能を開花させていきます。
フラメンコの舞踏団の一員として日本でも公演を行ったことがあり、スペインにとどまらず世界各地で活動を行いました。
2006年には芸術分野で国民栄誉賞を与えられています。

これらのカンタオールのCDなどは日本でももちろん手に入れることができます。
強いアンダルシアなまりではあるものの、比較的ゆっくりの曲が多いのでいったん慣れてしまうと歌詞を理解するものそれほどハードルは高くないかと思われます。(もちろん歌詞はわからなくても、曲は十分に楽しめますのでご心配なく!)
5月のアンダルシア地方の雰囲気を味わいたい方にはぜひお勧めです!

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