10分で分かるかも知れない?!カタルーニャの独立運動まとめ

10分で分かるかも知れない?!カタルーニャの独立運動まとめ

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カタルーニャの独立騒動、スペイン現地の実際の反応は?

の記事を書いた時にはここまで大きな騒動になるとは思っていませんでした。(おそらく問題は長期化だろうとは予想はできましたが)

正直なところ、現時点でどうなっていてこれからどうなるのか、バルセロナにいても客観的に事実を把握しにくい状況ではあります。(新聞を読んでも”独立派”か”反独立派”かで事実の捉え方が全く異なってきますし、人伝えに聞いてもその人が”独立反対”か”独立賛成”かのスタンスによってかなり事実に対する解釈が違ってくるのです。)

また日本ではカタルーニャ独立運動に関してこれまであまりニュースにならなかったこともあり、今回の件に関して突然プチデモン州首相が勝手に住民投票を行い独立宣言をして問題を起こしたと思われている印象も受けるので、できる限り客観的に今回の独立問題の動きをまとめてみました。

■ 近代独立運動の直接のきっかけになった2010年のカタルーニャ自治憲章の違憲判断

”独立運動”の起源をさかのぼれは、何世紀も昔になってしまうのですが、おそらくここ数年独立運動が高まりをみせたのは2010年最高裁判所によるカタルーニャ自治憲章の違憲判断が直接のきっかけといわれています。
カタルーニャ自治憲章は2006年に国会にて過半数賛成をもって制定されましたが(当然のことながら現在よりもカタルーニャに自治権が認められることを記した法律です。)その1年半後2007年に国民党(現与党当時の党首は現首相のマリアノ・ラホイ)によって違憲であると提訴を受けて最終的に2010年に違憲判決が下されました。
この判決を受けて、独立運動の機運が高まり、独立支持率が急上昇したといわれています。同2010年にはバルセロナにてカタルーニャ独立運動の歴史において最大規模の”自治抗議デモが行われています。参加者は100万人にも上るといわれ(バルセロナの人口は170万人なので、約半数以上の人が参加したことになります。)。このデモは独立支持団体Omnium cultural(今回2017年の独立運動にてこの団体のリーダーが、反逆罪で10月末に拘束され現地では釈放を求めた運動が続いています。)が指揮をとり、カタルーニャ州議会と国民党(PP)と市民党(Ciudadanos)以外の全ての政党が指示・参加を表明しました。

■ 2014年 カタルーニャの独立を問う非公式の住民投票

2014年11月、当時のマス首相により非公式の住民投票が実施されました。スペイン中央政府は阻止の意向を示したものの今回2017年の選挙のように直接的な妨害を行うことはありませんでした。選挙のの意図は”投票での独立賛成意思が直接カタルーニャの独立につながるわけではないが、スペイン政府と交渉するための政治的権限を得るきっかけになるだろう”というものでした
この選挙にはカタルーニャ住民の3分の一にあたる230万人が参加。約80%が”賛成”に投票をしたものの、投票率の低さから中央政府は選挙自体を”大失敗であった”と位置づけました。

■2015年のカタルーニャの州議会選挙

マス首相は2015年の州議会選挙を”独立の是非を問う選挙”として位置付け、結果的に独立派政党は議会で過半数を得ることができましたが独立支持政党の得票は47.7%と半数には届きませんでした。選挙後、議会において(独立派が過半数の議席を確保しているので)カタルーニャの独立手続き開始宣言がなされましたが直後にラホイ首相によって州議会が提訴され、マス首相はに2年間の公職追放と罰金が科されました。
その後、マス首相の後継者としてプチデモン州首相が就任しています。その際プチデモン首相はマス首相の意思を受け継ぎ、1年半以内に独立を問う住民投票を行うと発表しました。

■ 2017年 再び非公式の住民独立投票が行われる

2017年6月プチデモン州首相は10月1日に独立の是非を問う住民投票の実施、過半数が賛成であれば選挙後48時間以内に独立宣言を行うことを発表しました。住民投票は中央政府から送られた警察官によって武力阻止を受けるなどあったものの実施され、投票率は住民の43%うち賛成投票者は90%であったとされています。

■ 独立選挙その後、憲法115条の発動とカタルーニャ州の自治権の停止

この結果を受けて48時間以内に独立宣言が行われるかと国内は緊張状態となりましたが、結局宣言は行われませんでした。ただ政治的に不安定な状態になったことから、カタルーニャ州から本社移す企業が出始めます。(11月5日時点で約1700社が本社を移転したといわれています。)また大規模な独立反対のデモが行われたことなども考慮してか10月10日プチデモン首相は独立宣言に署名はするものの保留としスペイン中央政府との対話を望むとの意思を表明しました。

しかしながら中央政府は強硬な姿勢を崩さす、10月16日には独立運動の指揮を執る支持団体のリーダーが逮捕され(実質的には彼らの活動は政府から許可を得て行われているものであり、暴力的行為も行われていません)、その後カタルーニャ州警察のトップが解任されるなどの動きがあったため独立運動はさらなる高まりをみせました。また中央政府の強硬で独裁的なやり方に対して、反独立派の中にもそのやり方に対して抗議の声が生まれ始めています。

さらに21日にはラホイ首相がプチデモン州首相の解任、州会議の解散と自治権の停止(憲法155条の発動)を発表しました。憲法155条はスペインの40年間の民主主義の歴史においてこれまで一度も発動されたことがない法律です。
これを受けてプチデモン首相は10月27日州議会にて独立宣言の採決をとり、賛成の多数決をもって”独立宣言”を行いました。
直後に憲法155条が発動され、新しい議会が12月の選挙をもって発足するまでカタルーニャ州は中央政府の直接統治下になっています。

12月21日の州議会選挙には、独立派政党の参加も認められることとなったのですが、独立派の勝利の結果を恐れてか中央政府は独立派の首相を含む州政府のトップを”反逆罪”として告訴。11月2日に副州首相をはじめとする8人の州議会のトップが有罪判決を受けて拘束(本来ならば裁判にもっと時間がかかるはずであるのに異例な速さで拘束が決定されました)、逮捕状が出ているプチデモン首相は、”スペインには司法の独立性がなく公正な裁判をうけられない”とEU議会に判断を求めるためベルギーに移動しました。

11月4日スペイン中央政府が、プチデモン首相をはじめとするベルギーに移動した5人の州政府トップににEU逮捕状が出されベルギー政府に身柄の引き渡しを要求。プチデモン首相を含む州議会議員は11月5日に自ら出頭しました。この日の裁判でははプチデモン首相のスペインへの身柄の引き渡しは言い渡されず現在プチデモン首相らは保釈され、次のベルギーでの裁判にむけて準備中です。

確実にスペインの歴史の中でも語り継がれるであろう今回の”独立騒動”、バルセロナで暮らすものとしては事態が1日も早く落ち着いてくれることをただただ祈るばかりです。

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